【鎌ケ谷市】小学校の校庭脇に今も残る江戸幕府が作った野馬土手「下総小金中野牧跡」は国指定史跡
鎌ケ谷市内に、国指定史跡の「下総小金中野牧跡」(野馬土手)があると知り、その場所に行ってみました。
その史跡があるのは、鎌ケ谷市東初富の鎌ケ谷市立初富小学校の校庭脇です。
この横断幕の後ろのところがすでにこんもりと野馬土手が始まっています。
その近くに「下総小金中野牧跡」(野馬土手)の説明書きがありました。
(要約)鎌ケ谷市のあたりは、江戸時代、「下総小金中野牧」といい、幕府が馬を育てるための大きな牧場で、土手は牧場の柵として土を積み上げて作られました。ほとんど野生の馬たちは「野馬」と呼ばれ、年に1回、「捕込」(とっこめ)と呼ばれる囲いに集められ、幕府の役人たちが健康状態などを調べ、良い馬は江戸に送られました。この行事を「野馬捕り」といい、見物人もたくさんやって来ました。放し飼いにされている野馬を捕込に追い込むのは非常に大変な為、野馬捕りを効率的に行うために多くの野馬土手が作られました。この土手もその一部で、江戸時代に作られたときのかたちをとても良く残しており、当時の様子を知る上で、貴重な遺跡であることから、平成19年に国史跡に指定されました。
ここ初富小学校脇の野馬土手はもっとも保存状態の良い野馬土手なのですね。
土手は、校庭の柵のすぐ脇にあります。
柵の外側と、柵の内側の学校の敷地内に二重の土手が作られている場所もありました。
これぐらいの土手では、馬が飛び越えてしまうのでは? と最初は思いましたが、近くで見るとこれがけっこう高さがあるのです。
道の向こうの壁より高いので、2メートル近くはあるかもしれません。当時の馬は現代のサラブレッドのように大きくはないので、これだけ土手の高さがあれば飛び越えられないですね。
野馬土手は、初富小学校校庭脇の小径にずっと続いていました。
そういえば、初富小学校から歩いて3分ほどのところ、住所は白井市冨士になりますが、名もない小さな児童公園の一角にも野馬土手がありました。
ここも、初富小学校脇のものと同じく中野牧の野馬土手「中野牧野馬除土手」でした。
野馬土手には2種類あり、初富小学校脇の野馬土手は、野馬捕りを効率的に行うために作られた勢子土手でしたが、この児童公園内の野馬土手は、野馬が村に入り、畑の作物を食い荒らすことを防ぐために村との境に設けられた野馬除土手だったようです。
こちらは国指定にはなっていませんが、白井市指定史跡だそうです。
「白井市の指定文化財」というパンフレットによりますと、この野馬除土手は白井市内で最も保存状態の良い野馬土手なのだそうです。
そして、この土手も、かつては初富小学校脇の野馬土手と繋がっていたのだそうです。
当時の「下総小金中野牧」が相当広かったことがうかがえます。
土地の開発によって野馬土手も減少しつつある中で、今でも江戸時代の面影を残す「下総小金中野牧跡」。
お近くに行かれた際は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
「下総小金中野牧跡」(野馬土手)はこちら↓
「中野牧野馬除土手」(白井市冨士)はこちら↓