【印西市】平安末期の武将「源頼政」の首を埋めた場所と伝えられる「頼政塚」と、その名馬を葬ったといわれる「名馬塚」
初夏のあじさいや、秋の彼岸花でもご紹介した「結縁寺」に行ったときに見つけた、こちらの「頼政塚」と「名馬塚」と書かれた矢印看板。
何があるのか見に行ってみました。
まずは、この矢印看板から500mのところ印西市結縁寺(地名)にある「頼政塚」へ。
その場所には矢印看板が出ていますので、すぐ見つけられました。
この奥に「頼政塚」があるようです。
奥に進むと、そこには大木と石碑があり、ここが「頼政塚」のようでした。
すぐ脇に説明書きが。それによりますと・・・
西暦1180年、平家打倒に挑んだ源頼政は挙兵に失敗し宇治平等院で自害したといわれています。
この頼政の首を埋めた場所と伝えられているのが頼政塚です。
頼政は、死に際して家臣に「わが首を持って東国に向かい、首が重くなって動かなくなったところに塚を築いて首を葬れ」と遺言したとされており、家臣たちが馬に乗って東国に向かい急に首が重くなったところがこの辺りと伝えられています。(中略)
この塚には糸が供えられていますが、農作業で手首が痛くなった時に、この糸を巻きつけると不思議に治ると言われています。
確かに大木の枝に、いくつか紫色っぽい糸がぶら下がっていました。
平安末期の武将の塚が印西にあるなんて、なんだかとても不思議な気持ちになりますね。
そして、一番最初の矢印看板にあった「名馬塚」にも向かいました。
「名馬塚」のある場所は印西市船尾になり、「船尾ゴルフセンター」の裏手になります。
ここにも「名馬塚」の説明書きが。それによりますと・・・
結縁寺の西南にあたるこの地に頼政の首を運んできた名馬を葬ったといわれる名馬塚です。
(中略)
塚のそばには、刻像塔や文字塔の馬頭観音が十数基あります。
確かに馬頭観音が沢山並んでいました。
斜めに伸びている木のあたりが塚のようでした。
こちらの馬頭観音石塔は、いま見えている面には「南道:結縁寺」、向かって左側の面には「西道:舟尾、江戸」と書かれていますので、道標でもあったようです。
天保十二年と刻まれていました。
こちらの刻像塔は、頭のところをよく見てください。
頭の上に馬の頭が。
昔は馬は生活に欠かせない生き物だったので、馬頭観音は人々に崇拝されていたようです。
こちらには外国の方も来られるのでしょうか、英語の説明書きもありました。
印西に存在する、平安末期の武将「源頼政」の塚と、その首を運んできた名馬の塚、その歴史を感じに足を運んでみてはいかがでしょうか?
「頼政塚」はこちら↓
「名馬塚」はこちら↓