【鎌ケ谷市】鎌ケ谷市内の公園で縄文時代の貝殻を見つけられます! 市内最大規模の集落遺跡「中沢貝塚」

鎌ケ谷市初富本町にある「貝柄山公園」は、そういえばなぜ「貝柄山」という名称なのだろうと今更ながら疑問に思い、調べてみたところ、近くに貝塚があり、昔この周辺が中沢字貝柄山といっていたことによるものだということがわかりました。(鎌ケ谷市ホームページより)
その貝塚というのは、貝柄山公園西側の台地上にある「中沢貝塚」で、今も遺跡として一部が残っているということで行ってみることにしました。

中沢貝塚_貝柄山公園1貝柄山公園の西側に出るには、貝柄山公園の池のエリアにある階段から向かいます。

中沢貝塚_貝柄山公園2ちょっと急な階段ですが、こちらを上って行きます。

中沢貝塚_貝柄山公園3階段を上りきると、住宅街が出てきますので、その住宅街の合間の道を進んで行きます。

中沢貝塚_貝柄山公園4つきあたりに空き地のようなエリアがあります。

中沢貝塚_貝柄山公園5そこが「中沢貝塚」です。
「中沢貝塚二丁目広場」ということで、ちょっとした公園になっているようです。
ここは鎌ケ谷市東中沢二丁目あたりになります。

中沢貝塚_二丁目広場もともとそこにある木を活用したブランコの遊具が。

中沢貝塚_広場遊具1子供2人まで乗れる手づくりブランコも。

中沢貝塚_広場遊具2木の幹に食い込ませた鉄棒もありますよ。
体重40kg以下の子供専用です。

中沢貝塚_広場遊具3そんな子供も楽しめる小さな広場ですが、その一角に「中沢貝塚」の説明板がありました。
それによりますと・・・

中沢貝塚は縄文時代後期から晩期(約4000年~2300年前)の遺跡で、市内では最大規模の集落遺跡です。
この遺跡は中央が窪地状になっており、その窪地の周囲を土堤状の高まりが巡っています。
(中略)
また、これまでの調査から、盛土に沿って貝層が6つのブロックで分布すると考えられ、市内でもこれほど広範囲に貝層が広がる遺跡はありません。
貝層からはハマグリなど海で獲れる貝が多く出土しており、当時の人々は、中沢貝塚が面している大柏川に沿って東京湾まで移動していたと考えられます。
(中略)
この遺跡は、明治時代から考古学者たちに広く知られ、1962年以来、鎌ケ谷町、市教育委員会が30次に渡る発掘調査を行っており、出土品の一部は鎌ケ谷市郷土資料館に展示されています。

「中沢貝塚」はけっこう広い範囲の集落遺跡だったのですね。
そして、ここから土偶や土器も発掘されたのですね。

中沢貝塚_説明書き貝塚というだけあって、広場のところどころに貝殻の欠片が落ちていました。
これは二枚貝の一部でしょうか。

中沢貝塚_二枚貝欠片何気なく広場の地面を見ていると・・・

中沢貝塚_地面1何かが埋まっている!? 石ではなさそう。

中沢貝塚_地面2表面に模様が見えます。

中沢貝塚_地面3地面から引っこ抜いてみると、これは何かの貝?
巻き貝の一種でしょうか?
これを見てわかる方がいらっしゃいましたら、情報お待ちいたしております。

中沢貝塚_地面4

中沢貝塚_地面5

中沢貝塚_地面6

中沢貝塚_地面7こちらは巻き貝ですね。
形がそのまま残っています。

中沢貝塚_巻き貝1

横から

中沢貝塚_巻き貝3

裏から

よく見ると貝の寄生虫が付いた状態のままですよ!
縄文時代からずっとこの状態で残っていたなんてなんだか不思議な気持ちになります。

中沢貝塚_巻き貝2貝柄山公園に遊びに行ったついでなど、お近くに行かれた際は、ぜひ、鎌ケ谷に今も残る縄文時代の遺跡「中沢貝塚」に寄ってみてはいかがでしょうか?

「中沢貝塚」はこちら↓

イチーバくん

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