【白井市】名馬生食!? 馬刺しではありません。平安時代に源平合戦で活躍した“元祖勝ち馬”を祀る「天神八幡神社」

『12月4日付で掲載された白井市清水口の白鳥の調整池のすぐそばにある神社「天神八幡神社」には、一風変わった御祭神がまつられています。』という情報を読者の方からいただきました。

【白井市】清水口の住宅街の中の調整池に、2023年冬もオオハクチョウがやってきました!

その清水口調整池から東に歩いて4分のところにある、「大日神社」の境内内に「天神八幡神社」があるということで、行ってみました。
狛犬の台座がなんだかすごいですね。
台座というより岩山ですね。

名馬生食_大日神社1

向かって右側の岩山には、子犬が2頭も!
一般的によく見るのは狛犬の足元に子犬を抱えているものですが、これは変わった配置ですね!

名馬生食_大日神社2

向かって左側は口を開けているのでこちらは獅子かと思いますが、
その下にいるのは、こちらも子どもの獅子なのでしょうか?
いずれにしましても、子犬ですらちょっと迫力のある、岩山全体を使った芸術作品のようでした。

名馬生食_大日神社3

鳥居をくぐると拝殿があります。
こちらの「大日神社」(おおひじんじゃ)は、1677年鎮座で、祭神は天照坐皇大御神。
元日など年3回の祭礼日には七次の大日神楽が奉納されます。

名馬生食_大日神社4

拝殿のすぐ近くの狛犬は、なんとも愛嬌のある顔の子犬でした。

名馬生食_大日神社5

狛犬の台座の足元には、「嘉永三年」と書かれた石が。
江戸時代のものが今も残っているのですね。

名馬生食_大日神社6

そして、「大日神社」の境内内ではありますが、脇に抜けると見えてきたこちらの「名馬生食」と書かれた幟(のぼり)。
「めいばなましょく!?」
まず頭に浮かんだのは「馬刺し」でした。

名馬生食_幟

幟のすぐ脇に説明書きがありました。
「名馬生食」の読みは「めいばいけずき」で、これは馬の名前で、馬刺しではありませんでした。

「生食」は、東葛飾郡深井村(現柏市付近)で産まれたと伝えられ、房州峰岡(現鴨川~南房総市付近)まで駆けまわり、七次新田(現白井市冨士付近)にも立ち寄りました。
当時の人々はこの馬を「八幡」(はちまん)と呼びました。
その後、「八幡」は源頼朝に贈られ、「名馬生食」となりました。
「生食」の名は、人や生き物に食いつくほど猛々しさに由来します。
後に、「生食」は佐々木高綱に与えられ、宇治川の合戦にて、梶原景季が乗る摺墨(するすみ)という馬と先陣を競い、見事先陣の名誉を勝ち取り日本一の名馬と謳われました。
「生食」の死後、里人が埋葬し、そのお墓は高塚新田の八幡神社(現松戸市高塚新田)にあるといわれていますが、七次新田(現白井市冨士付近)でもあるとも伝えられています。
天神八幡神社の祭神生食は源平合戦の頃に活躍した名馬なのです。

生食を祀る「八幡神社」は、延宝5年に七次村字八幡(現白井市根字八幡)へ移され菅原道真を祀る「天神社」と合祀されて「天神八幡神社」となり、その後、大正2年に「大日神社」に合祀され、現在地に移されています。

名馬生食_説明書き

では、その「天神八幡神社」に参りましょう。

名馬生食_天神八幡神社1

小さな拝殿は保護用の屋根と囲いに覆われていました。

名馬生食_天神八幡神社2

馬にまつわる飾りや彫刻は特にありませんでしたが、1頭の馬を祀るためにこんなに立派に建てられてたのですね。
それだけの名馬だったことがうかがえます。

名馬生食_天神八幡神社3

こちらの狛犬は、ちょっとかわいらしい表情をしていました。

名馬生食_天神八幡神社4

清水口調整池の白鳥を見に行かれた際など、お近くに行かれた際は、ぜひ、源平時代の “元祖勝ち馬” 名馬生食を祀る神社「天神八幡神社」に寄ってみてはいかがでしょうか?
ちなみに、同じ境内にある「大日神社」では、大晦日の晩に神楽の奉納があり、すぐお隣にある長楽寺では除夜の鐘をつくことができるそうですよ。(前出の読者さま情報)

このたびは情報ご提供ありがとうございました!

「天神八幡神社」はこちら↓

イチーバくん

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