【印西市】中曽根元総理による揮毫の神額が掲げられた「熊野神社」と、無形民俗文化財の獅子舞が奉納される「地蔵寺」

印西市別所方面に行った際に、同じ境内に神社とお寺がある「熊野神社」と「地蔵寺」に寄ってみました。
こちらの仁王門をくぐった先に神社とお寺があるようです。
別所熊野神社_地蔵寺仁王門
 
仁王門の手前に手水舎がありました。
手水舎があるところは神社らしいですね。
別所熊野神社_手水石1
 
手水舎のすぐ横に、この手水石の説明がありました。
この手水石は、享和3年(1803年)、別所村の瞽女(ごぜ)キヨと若者中が願主となり、惣深村、発作村、木下宿、布鎌惣村中、龍腹寺村、宝田村など、近隣村々、有力者等の賛同を得て奉納されたものだそうです。
瞽女(ごぜ)とは・・・
室町時代以降に現れた三味線を弾き歌をうたって渡世する盲女のことで、三人くらいが一組になり、祝儀歌、門付歌などをうたって歩き、夜は宿に入り「よせ」を行って人々を楽しませた。
瞽女を迎えると「福が来る」として歓迎したりする地方もあったといわれ、瞽女宿では、娯楽の少なかった農山村の村人が集まって歌曲を聞いて楽しんだ。
この手水石は、当時の農民娯楽のあったことを示唆する貴重な史料であるようです。
別所熊野神社_手水石説明
 
それが、この手水石の背面や側面に刻まれた奉納者の名前からわかるようです。
その中でも、右側面に刻まれている3人は、いずれも村名主や河岸問屋で、瞽女の遊芸に援助の手を差し伸べ、自分の家を瞽女宿として提供したものと思われるそうです。
ここに刻まれている木下宿の吉岡七良左右門さんは、以前に「吉岡まちかど博物館」の記事でご紹介した、「印西郵便局」の淵源である「木下郵便取扱所」を開設したり、蒸気船を所有し乗り合い旅客船「銚港丸」を運行していた、木下河岸の河岸問屋の吉岡家の方ですね。
その当時のとても貴重な手水石が残っているのですね。
別所熊野神社_手水石2
 
仁王門をくぐると、そこに「地蔵寺」と「熊野神社」が並んでいました。
別所熊野神社_地蔵寺
 
こちらが「熊野神社」の拝殿。
別所熊野神社_拝殿
 
近くに行って神社名の書かれた神額を見て見ると・・・
別所熊野神社_揮毫1
 
なんと! 中曽根康弘元総理大臣による揮毫が神額に刻まれていました。
中曽根元総理大臣と「熊野神社」はどのような関わりがあるのでしょうか?
調べてみましたが、これと言った情報は見つかりませんでした。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、情報お待ちいたしております。
別所熊野神社_揮毫2
 
境内に、「別所の獅子舞」の説明書きがありました。
「別所の獅子舞」は、印西市指定無形民俗文化財で、約800年前から、獅子頭を冠りお囃子を付けて村内を廻り、悪疫退散と五穀豊穣を祈願する行事として始められたと伝えられる獅子舞だそうです。
特徴は祈願獅子舞としてのその勇壮活発さなのだとか。
別所熊野神社_別所の獅子舞説明1
 
「印西市の無形民俗文化財」という印西市教育委員会作成のパンフレットにも写真付きで掲載されていました。
毎年8月24日にこちらの「地蔵寺」にて「別所の獅子舞」が奉納されているとのこと。
獅子舞というと一般的には神社に奉納されますが、「別所の獅子舞」は、印西市内の獅子舞の中で唯一お寺に舞を納めているのだそうです。
機会があれば、この「別所の獅子舞」も見てみたいと思いました。
別所熊野神社_別所の獅子舞説明2
神社とお寺が併設された印西市別所の「熊野神社」と「地蔵寺」。
お近くに行かれた際は、寄ってみてはいかがでしょうか?
8月の「別所の獅子舞」もぜひご覧になってみてはいかがでしょう?
 
「熊野神社」はこちら↓
イチーバくん

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