【印西市】江戸から明治時代に栄えた木下河岸の歴史を知ることができる土蔵の「吉岡まちかど博物館」
以前に印西市岩戸の「アートカフェ山の音」に行った時に、オーナーさんが「一度行ってみるといいわよ。」とおすすめしてくれた「吉岡まちかど博物館」。
JR成田線の木下駅から東に利根水郷ライン方面に向かって歩いて8分ほどのところにあります。
「吉岡まちかど博物館」は、毎月第1土曜日と第3日曜日の13時~16時のみ開館しているとのことで、開館日に行ってみました。
入館は無料、開館日は木下まち育て塾の方が色々説明をしてくれます。
「吉岡まちかど博物館」の建物は土蔵です。
この土蔵を含め、この辺り一帯が、江戸時代より利根川舟運で栄えた木下河岸で河岸問屋を営んでいた吉岡家の所有地になります。
土蔵は明治24年に建てられました。
吉岡家のご理解のもと、町おこしの一環で、東京電機大学の建築学部の学生と木下まち育て塾及び市民ボランティアの協働により、平成16年に「吉岡まちかど博物館」として再生・開館された歴史的文化財の建物です。
土蔵の1階は展示スペースになっています。
展示スペースでは、吉岡家に残る古文書や、蒸気船関連の資料、郵便局関連の資料が展示されています。
郵便局関連というのは、吉岡家が明治5年に現在の「印西郵便局」の淵源である「木下郵便取扱所」を開設。それから昨年2022年で150年を迎えたのだそうです。
蒸気船関連というのは、吉岡家は「吉岡造船」という会社名で蒸気船を所有し、乗り合い旅客船「銚港丸」を運行していました。
そう言えば木下駅の北口にも、それに関連する説明書きがありました。
木下河岸は、乗り合い旅客船「木下茶船」の発着場として知られ、香取・鹿島・息栖の三社詣や銚子遊覧に向かう江戸庶民らで賑わったようで、明治時代には蒸気船の就航も見られたとのこと。
この蒸気船が吉岡家の所有する「銚港丸」ですね。
それにしても、当時は高瀬船が主流だった中で、いち早く蒸気船を所有していた吉岡家は最先端をいっていたのですね。
ふたたび「吉岡まちかど博物館」の土蔵1階スペースに戻りますが、その賑わっていた頃の木下河岸の様子を復元した図も展示されていました。
確かに蒸気船もありますね。
木下河岸の復元図の、左上のこんもりとした山は、現在の「木下万葉公園」のあるところだそうです。
また、木下という地名の由来も昔の書物に書かれていたようです。
当時の木下の辺りは竹袋村という地名で、竹袋村から利根川に木を下すというところからきた名称なのだとか。
1階の展示スペースには、その他に、吉岡家代々のもので今では非常に珍しい、官女が座敷犬の狆(ちん)を曳いた雛人形などもありました。
2階のスペースは、この時は事務所のような感じになっていましたが、見学はでき、立派な屋根裏の梁も見ることができました。
ちなみに、2階へ上がる階段は非常に急になっておりますので、上り下りにはご注意ください。
「吉岡まちかど博物館」の建物の外には、木下貝層から造られた貝化石灯籠がありました。
木下駅周辺では数件の家に貝化石灯籠が見られますが、そのほとんどが一本足で、三本足の灯籠では吉岡家の灯籠が最大であり、木下貝層でできた三本足の貝化石灯籠としては「日本一」と思われるのだそうです。
そう言えば、ここ「吉岡まちかど博物館」から120メートルのところにある江戸時代創業のお蕎麦屋さん「柏屋」にも木下貝層の灯籠がありましたが、あれも一本足でした。
江戸時代から明治時代に栄えた木下河岸の歴史が学べる「吉岡まちかど博物館」に行ってみてはいかがでしょうか?
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