【印西市】江戸時代は印西は放牧馬を飼育する幕府の牧場だった! 今も残る牧場跡「泉新田大木戸野馬堀遺跡」
印西市のホームページにて、「市教育委員会では、印西市泉70-10他に所在する市指定文化財(史跡)泉新田大木戸野馬堀遺跡を公開しています。」という情報を知り、現地に行ってみることにしました。
場所は、以前にご紹介した古民家カフェ「cafe NOIE」からもすぐ近く、歩いて3分ほどのところです。
現地には説明看板がありました。
それによると・・・
江戸時代、印西市から白井市にかけての一帯には、東葛飾地方を中心として設けられていた小金五牧の一つである「印西牧」と呼ばれた幕府直営の牧場が置かれており、牧と村の境には放牧馬が村に入らないよう、また、野犬などから馬に被害が及ばないように野馬土手が設けられました。
(中略)
泉新田大木戸野馬堀遺跡は、その一部で長さ約200メートル、幅10~20mが現存しており、市の近世史を知る上でも重要な文化財(史跡)です。
説明看板のあるところには駐車場も完備されており、駐車場の先から史跡が見学できるようになっているようです。
この扉の先ですね。
見学は自由ですが、土手の内側(野馬堀)には入らないよう、また、中で飼い犬を放さないよう注意書きがありました。
では、扉を開けて、入ってみましょう。
と思って進んでみたら、50メートルほど先はもう雑草がぼうぼうに生えていて、それ以上先に進むことはできませんでした。
柵の内側から、200メートル続く野馬堀を見学できるようになっているはずですが、堀のほうも竹などの雑草に覆われてしまっていて、先が見えなくなっていました。
全長200メートルの野馬堀の全容は残念ながら見ることはできませんでしたが、手前の道路からその半分くらいの長さの堀を確認することはできました。
印西市のホームページによりますと、「泉新田大木戸野馬堀遺跡」は、印西牧の東側に位置し、新田開発によって設けられたもので、2条の土手とそれらの土手の間に設けられた堀とで構成され、野馬除けとともに牧と新田との境界を示していたようです。
また、木下街道に接していたため、街道が横切る部分に2か所の大木戸が設けられていたようです。
そう言えば、最初の説明看板のところに、腰川芳斎画の「印西牧場の真景図下絵」が描かれていました。
実はこの「印西牧場の真景図」は、白井市郷土資料館に、白井市指定文化財として保管されています。
写真のものは、その復元図(白井市教育委員会文化課作成)のコピーです。
「印西牧」で野馬捕りを行っている様子が詳しく描写されていますね。
それを見物している村人の様子も描かれていました。
そんな「印西牧」の一部として今も残る「泉新田大木戸野馬堀遺跡」に立ち寄り、当時の様子を思い描いてみてはいかがでしょうか?
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